旅をすると、
「楽しかった。またいつかここに来たい。」
と、思いながらよく帰国するものだろう。
しかし唯一、タクラマカンでは違った。
村はなくなる。
「もう2度とここに来られることはないのだ。」
そう分かって時間を過ごさなければならなかった。
タクラマカン砂漠の奥深くにあった学校で子どもたちと共に過ごした5日間は幻のようだ。
授業で英語を教えたり、日本のことを紹介したりもしたし、遊び、集会、昼寝、踊り、食事、掃除、就寝まで、多くの時間を分かち合った。
写真の存在が、それが幻では無かったことを証明する。
この5日間がどれだけ貴重な時間なのか頭では認識できていたが、思った通り時間は瞬く間に過ぎ去っていった。最終日の夜、それぞれの教室で子どもたちに話したお別れと5日間ありがとうの言葉。みんな静かに聞いてくれていた。暗闇の校舎を出ていくところまでみなついてきてくれた。
もう一生見ることは無いのだな、と思いながら真夜中の無音の砂の世界で黙って見上げた宇宙のような星空。
砂漠から遠く離れた街へと戻る時。
いつもなら、生きてさえいれば会おうと思えばまた会える、来ようと思えばまた来られる、と自分を納得させて帰るが、強大な力に阻まれてそれが通用しないことはとても辛かった。
特に、なぜか家族が誰もいない子どもたちがたくさんいたことは本当に気がかりでしかなかった。
タクラマカンへの旅は、楽しさに悔しさが滲む、唯一の旅だった。