新疆ウイグル自治区を知っていますか。
村に入る許可を予め取っていても、公安が何人もついてくる。砂漠の民と子どもたちに再会したいだけだ。
バスの切符を買うために、長時間パスポートを預ける必要があった。検問の度にウイグル人だけがバスから降ろされて、機械の前に一人ずつ立たされて顔認証する。自分は別室に連れて行かれて毎度面談があった。
ガソリンスタンドにも入り口と出口に簡単な検問があり、給油するのも一苦労だ。
街に到着してバスを降りたその瞬間、警察が警察手帳を印籠のように眼前に突きつけてきた。
「ここに何をしに来たのか?」
(警察もウイグル人、通訳もいた)
家族が誰もいなくて学校に寝泊まりする子どもたちがいる。
学校内や小さな路地にもほぼ必ず監視カメラがある。何を言っているのか分からなかったが、喋りかけてくるカメラまであった。
学校が高い塀と有刺鉄線と複数の監視カメラに囲まれている。街なら武装した数名の門番が立っている。ここが日本だとしたら刑務所に見えるかもしれない。
学校の授業が終わるのは20時前後だ。幼稚園の子どもたちは授業終了は18時だった。朝はみんな7時始業。
これが一体何を意味するのか。
歩いていると私が外国人だと知る否や大慌てで警察に通報した漢民族の男。
これらは自分の目で見たもの、実際に体験した事実の一部だが、状況は遥かに深刻だと思われる。
何よりも心配なのは、家族に会えない中でそれが普通かのように勉強する子どもたちだ。
でも別れ際に悲しそうにするのは、私のことを好きで名残惜しいと思ってくれているだけではなく、この砂漠で家族がいない寂しさがあるからだということを悟った。
家族以外では一番親しいはずの学校の先生も日本とは全く違う。学校と先生は絶対的存在であり、学校を休むのにも校長の厳しい許可が必要だ。親戚に会うために学校を休ませたいが、校長の許可がもらえないという人も見た。
こんな状況や子どもたちがいることを知りながら何もなかったふりをすることは自分も一人の人間ならば難しい。
だが自分は何もできず、日本に帰らなければならなかった。自分に何ができるのか、急速に建設が進む砂漠の高速道路上でそう思っていた。
今日本にいる自分ができることを、こうして書いてやっています。
「ウイグル」という名前を日本の人々に知ってもらうために。
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